第十八話 おむつと自殺願望

34歳にして
不眠症と自殺願望で頭がおかしくなり
「お母さん、一緒に寝てください」
と言うまで精神的に参ってしまった私

そんな私に追い打ちをかける出来事がはじまります。

実家には、91歳の祖母がいるのですが
もちろんヨボヨボです。

さらに父親が糖尿病が悪化して合併症があり
失明寸前です
手術はしましたので、一応は見えていますが、テレビは一メートルくらい前じゃないと認識できないレベルです。
当然、メガネをして強制をしてです。
ですから、車の運転ができません。

母親は昼間は看護師として病院で働いています。

ですので、この二人を病院に連れて行くのは私の役目です。

私がいないときは、母親が仕事の休みに合わせで病院に連れて行きますが
実質ニートのような感じに見られていた私は自然とその役目を引き継いでいました。

父親は、「自己責任だ、食べ過ぎたもんなぁ・・・」とおとなしいもんですが
祖母は違います。

私の顔を見るたびに
お腹が痛い
腰が痛い
入れ歯を作り替えたい
顎がいたい
足が痛い
目が痛い
そんな感じの事を言ってきます。

これは、不定愁訴といって、なんだかんだで理由をつけて不平不満をいうものです。
これは、年寄りにはよくあるので、全て真に受けたらきりがないので
担当医と相談して、病気と判断していること以外は適当に受け流すのも
介護テクニックの1つなのですが
当時の私は全く介護テクニックなどを知りません。

私はそれを全て真に受けて
目が痛いと言えば目の医者に
背中が痛いと言えば外科医に
入れ歯が合わないと言えば歯医者に

と言った具合にすべての医者に連れて行きました。

一週間の間にひっきりなしに病院に通います。
そして、どの病院も混んでいます。
1時間待ちなどは普通です。
初診の場合などは2、3時間なんて普通です。

そして、診察自体は5分とか15分くらいで終わります。

5分の為に病人だらけの待合室で90代の祖母と二人
2時間以上待つのはとてもつらいものです。
病院だけではまだいいのですが
そのあとの薬局も待ち時間が長いのです。

基本的に受診した病院の近くにある
薬局に行って処方箋を出します。

ひっきりなしに他の高齢者が来ます。
そこかの介護施設のロゴ入りのシャツを着た若者に
寄り添われてくる方もいます。
そして、みんなで自分の薬をひたすら待つのです。

薬局にって誰もいない時でも10分くらいかかります。
いっぱいの時は1時間とか待ちます。
平均して20~30分くらいですね。

仕事はスピードが命
無駄を省く

そう身に付いている私には
普通の人以上に耐えがたい時間でした。

祖母は、不安なのかひっきりなしに私に話しかけてきます。
私は「そうだね」「うんうん」と律儀に聞いていました。

介護テクニックの1つで、話半分で聞いてOKというものがありますが
当時の私は知らなかったので、話を聞いて少し手でも心が休まれば、という思いで
全てじっくりと聞いていたのです。

この時点で、2012年の年末ごろですね。

業績の悪化を極めて
祖母の介護に疲れた私は
自分でも頭がおかしくなるのを感じていました。

深夜に車にのり

「うわぁぁぁああああああああああ」

と叫んだり

「ウケキョンハンハウヘイハウエ~~」

等、わけのわからない奇声を発していました。

そして、そのあとに家に帰ってはウイスキーをストレートで浴びるように飲み
気絶するように眠りますが
2、3時間もすると目が覚めて

「何かしなきゃ!」
「どうにかしなきゃ!」

と焦るのです。
これを焦燥感と言います。
分けもなく焦って仕方ありません。
パニック障害の一種ですね。

仕事の業績悪化は自己責任だと受け入れることができても
祖母の介護は終わりがありません。
5年か?
10年か?

早く死ねばいいのになんて思いませんが
誰か、この役目を代行してくれる人はいないのか?
と思っていました。

そうだ、老人ホーム(介護施設)に入れる事が出来れば
仕事に集中できるから持ち直せるかもしれない・・・。
そう思うようになりました。

この時点で
「祖母の介護から離れられるだけで幸せ」
という優先順位がはっきりと生まれました。

「ネット広告ビジネスで再起して、また返り咲く」
というのは二の次になりました。

そんなこんなしているうちに
精神はどんどんすり減っていくのを感じます。

人間と言うのは、終わりのある一時的なストレスには強いのです。
一時的な痛みや
一晩だけ野宿みたいなものですね。
事業なら3年間だけ我慢すれば月収100万円なんてのもそうだし
スポーツなら2年トレーニングすれば試合で勝てるとかですね
終わりが分かっているストレスには人は強いのです。
しかも、何らかの利益が保証されているならなおさら乗り越えられます。

しかし、終わりのないストレス
長期的なストレスには非常に弱いのです。
しかも、これと言って利益はありません。
お金も発生しませんし、社会的な地位なんてものもありません。
特に誰からも褒められることでもないし
「家族の介護なんて当たり前のことで褒められるためにやる事ではない」
とされている事です

年寄りといるとエネルギーを吸い取られます。
逆に言えば、エネルギーを分け与えていると言ってもいいですね。
もちろん、感謝しているし、恩もあります。

小学校のころ
お小遣いが少ない!
ビックリマンシールが買えない!
みんな持ってるのに、なんで俺だけこんなに少ないんだ!
と親にむかって駄々をこねていた私に
「これ内緒だからね」とビックリマン30個入りのケースをくれたおばあちゃん

中学校の時に弁当を忘れたときに
20分くらいある学校まで全速力で5分くらいで走って来た70歳のおばあちゃん

高校の時に
平日の昼間からゲームをしている私は祖母の事をかなり心配させてしまいました。

そして、卒業後、アルバイトや就職、上京など
自分のことしか考えていなかった私は、祖母の事等これっぽっちも考えていなかったのです。

近所の老人の集まりにたまに参加するくらいで
60歳くらいから昼間から独りぼっちなのです。

「自分のことは自分でする」と言った感じで
とても根が強いのです。
小学校しか出ていなくて
どこかの金持ちの屋敷で使用人として働き
戦時中の飛行機製造工場で働いていて空爆を受けて
自分の避難場所に隠れたグループ以外は死んだ

子どもも5人も産んでいるし
しかも旦那がDV男で離婚して30歳くらいから
大手工場の食堂で料理を作る
スポーツジムの清掃員
海辺の水産工場で魚を仕分ける仕事・・・等
女独りで働いている・・・
そんなエピソードの持主です。
結局、歳をとって60歳くらいで
祖母の息子の1人である私の父親と一緒に住むことになったという経緯です。

そんな祖母の性格は
私にもある程度隔世遺伝しているのか、根が強い所は私と似たところがあり
70、80歳と歳をとっていっても、たった独りで全て自分で病院に行ったりしていました。

今の祖母は90代、さすがにヨボヨボです。
私は、実家に帰って思ったのです。

私は、自分のことしか考えていなかった
祖母をほったらかしにしすぎてしまった

その代わりに、これからはできるだけ、わがままを聞いてあげようと・・・
親孝行ならぬ、祖母孝行なのだと・・・

・・・といってもきれいごとだけで介護ができるなら
「介護問題」なんて単語はありません。

いくら精神が病んでも精神科だけは言ってはいけない
薬に頼ってはいけないというポリシーがあったので
病院にいって診断をうけてはいませんが
「介護うつ」のような状態になり
終わりのないこのストレスにさらに精神はすり減っていきます。

>>第十九話へ続く

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