第二話 いじめられっこと引き寄せの法則

幼稚園のころからコミュ障の症状が出始めて

小学校はおとなしい子供でした
というより、友達ができませんでした

まったくクラスになじめないのです。

日曜日は引きこもるように家でゲームばかりしていました

また、クラスの発表会などはいつも独りで発表をしていましたし
本当に楽しい思い出などは1つもないです。

団体関係は義理で入れてもらえたり
先生が無理やりグループに入れるように指示をして
みんながいやいや加えるような子供でした。

多分どのクラスにも一人か二人はいたと思います。

多分私は医学上では学習障害やアスぺまではいきませんが
多分その傾向があると思います。
もっと違うジャンルかもしれません。

とにかく
「なんで、こんなことやらないといけないんだ?」
「なんで、縄跳びなんてやらないといけないんだ?」
「なんで、クラスで対抗リレーなんてやらないといけないんだ?」
といつも考えて
クラスメイトや学校の仕組み自体になじめなかったのです。

そのせいか、次第に学習意欲もなくなり
地頭はそれなりに良かったみたいなので、成績は大丈夫でしたが
親からは、「半分以下にならないようにね」と言われていたので
ギリギリ半分の位置に落ち着ける最低限の勉強力を保ってはいました。

中学時代

中学になると私の学生時代はいつもこんな感じでした

そして、クラスの不良に目をつけられていじめられていました

何も仕返しができずに
ただ黙っていたのです。

素直でいい子こそ最高であると信じて
道徳の教科書=ぜったい守るべきもの
と思い込んでいた素直で純粋な私は
先生の「暴力はいけません」をかたくなに守っていたのです

いや、「暴力はいけません」と言われたから自分は怒らなくていい
自分が正解なんだと思い込むことで
自分の気の弱さを正当化していたともいえます。

教科書に落書きをされるわ
朝来たら机がうら返しになっていたりして
みんながしら~としていて
私が机を戻すと
何もなかったかのようにまたおしゃべりが始まりました

私は「よく、こんな異常な空間で平然と生き生きとしていられるな」と思っていました。

小学校のときと同じく
クラス対抗なんとかとか
学園祭とか
ちっとも楽しくなくて
何でやらないといけないんだ?
帰ってドラクエのレベル上げをしたいといつも思っていたのです。

協調性のないというか
協調する意味が分からないと本気で思っていましたし
今でも正しいと思っています。

私立学校がともかく
私のような庶民が行く田舎の公立学校は従順なサラリーマンを育成するための機関です。
特に田舎は先生の体罰やパワハラが猛威を振るっていましたし
私の中学は全員坊主
朝は帽子をぜったにかぶらないといけないという
今では考えられないような田舎の風習が色濃く残る学校でした
素手でトイレ掃除なんて当たり前でした。

根本的に、意味もなく、教師のいう事が絶対だったりする意味が分からないし
右向け右のクラスメイトとは馴染めないし
本当、変わった子供でした。

教師の教えている事と
クラスメイトのやっている事が全然違ったり・・・

クラスには不良に目をつけられて
私よりももっとひどいことをされているいじめられっ子がいました

ある日、担任が母親から相談があり、ようやく担任が気づきました

その日、そのいじめられっ子についての作文を書かせて、
はい、いじめ問題終了などと教師が満足げな顔をしていました

次の日に
そのいじめられっ子はクラスの隅っこで不良に腹をボコボコにされていました
顔だとすぐにばれるからです。

後でわかるのですが、定期的に母親から「子供がアザだらけだ!」と先生に相談があったようです
なんの解決にもなっていませんね

意味が分からないのです
先生、頭悪すぎるわ・・・と子供ながらに思っていました

今思うと、先生もいろいろ大変で
クラスメイトみんなを幸せにするなんてかなり難しいことは分かります。
忙しいのに、部活の担当をやらされて土日がサービス残業のような先生が多いと聞きます。
大変なのはわかります。

先生の名誉のために行っておきますが
全員の担任がそんなのばかりではありませんでした
クラスをまとめるのに優秀な尊敬できる先生もいましたよ。
小学校5年生と中三の時の先生は優秀だと今でも思っています。
高校の先生(3年間担任)も優秀でした
でも他は大人になった今でも全く尊敬に値しない先生ですね。

中学時代は
いろいろなエピソードはありますが

中二の時に、運動会のために朝7時に学校に集まり
大縄跳びの練習をやるという事でしたが
すっかり忘れていた私は行きませんでした。

そして、朝、普通に投稿すると
みんながしら~と私をみるのです。

「あ、今日はそういえば、クラスの大縄跳びの練習だったっけ」
「こいつらは律儀にやってんのか、馬鹿だな」

そして
「クラスの不良グループの奴らははもちろん参加してないだろう」
と思いきや
全員出席

私だけだったのです、来ていないのは。

そして、私はみんなの前で先生に背中に蹴りを入れられました。
「土下座しろ!」と先生に言われて
クラスメイトは「土下座!土下座!」とコールをはじめました。

私は何が何だか分からなくなり
14歳のカッコつけたい年頃なのに
「ヒ、ヒぃ~~~」
と無様になきじゃぐり、教室の床に頭をこすりつけて
「すいません、すいません」と泣きながら土下座をしたのです。
思春期の私にとっては、ほんともう最悪のカッコ悪い思い出で
自己イメージは地の果てに落ちてボロボロになりました。

今の時代だと馬鹿なクラスメイトがスマホで撮影して
youtubeあたりにアップされていたのかもしれませんね。

今になって思えば、私のような悪い事例をみんなの前でこき下ろし
ひどい目に合わせることで
クラスメイトの統率を図ろうとする教師の戦略だったんだと思います。

明らかにやりすぎな理不尽な思い出ですが
恨みはありません。
むしろ「ありがとうございました」といいたいです。

遅刻した私が悪いとか
遅刻したからといて理不尽な暴力をしていい理由にはならないとか
当時、14歳ながらにしていろいろ考えましたが
今ではそんなことはどうでも良いのです。

この日に見事に私の起業家としての基礎を作ってくれたのです
この先生は。
今では、とても感謝しています。

おかげで体育教師は一切信用しなくなったし
すぐにキレて腕力を振りかざす
体育会系の脳みそ筋肉系とは一切付き合わないようにしてますし
今でも役に立っています。

先生が見事に教育に失敗してくれるきっかけを与えてくださいました。
学校教育を一切信用しないという
脱洗脳にいち早く成功し
自由な思考を手に入れる事が出来ました。

この出来事がなければ私は
田舎を離れて上京をしようと思わなかったでしょう

それから
田舎の公立学校のクラスメイトや先生になじめない15歳の私は
だんだんと
「こんなクソみたいな田舎から出て、俺は東京で一花咲かせるんだ!」と思うようになったのです。

15歳から、東京のドラマばかりをみるようになり
東京にあこがれを持つようになったのです

今思えば、現実逃避の一つですが
私は希望を「東京に行けば友達もたくさんできて、楽しい生活ができる」と信じ込み
孤独で辛い学校生活を乗り越える事が出来たのです。

毎日東京の事を考え、わくわくしてました。
中二からです。

それから、毎日
「東京に言ったら東京タワーの見える高級マンションにすもう」
「赤いオープンカーに乗ろう」
「モデルのようなかわいい彼女をつくろう」
と具体的に考えてはわくわくする事でなんとか自分を保っていたのです

学校では悲惨な自分も
妄想の中では「吉田栄作」なのです。
※吉田栄作は当時の超人気俳優

それだけが希望であり
それだけで生きていけたのです。

中学の「将来の夢」のところには
はっきりと「ゲーム会社の社長になる」と書いています。

ゲーム会社の社長ではありませんが
当時はパソコンなんて自分が持つなんて思わなかったし
その存在すらよくわからないものでした。
当時のイメージとしては、ゲーム会社の社長はコンピューターを使ってカチャカチャとやっているイメージでした。

ですから、今の仕事と一致していますね。

今思うと無意識に引き寄せの法則を使っていたんです。
しかも、思春期の全エネルギーをつかっての引き寄せの法則です。
それはとても強烈なエネルギーだったでしょう。

いつも宇宙にオーダーをしていたんです。

成功者は無意識に引き寄せの法則を使っていると言いますが
まさに、私がそうだったのです。

その結果が
学歴もなくコネもないのに
独りで上京して法人化
PCだけで個人の年収2000万円以上という快挙を成し遂げたのです。

>>第三話

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