第十二話 年商6000万円

上京後、すぐに法人化した私は
とりあえず月の利益で300万円を目標にヤフオクをはじめとする
教護の少ないニッチな電子機器関連の商品をはじめ

「とにかく金になる事なら何でもする」
という精神で会社を運営

具体的には一日中インターネットで市場調査をしていました

誰が何を売っているのか
何がどれくらいで売れるのか
仕入れ元はどこか
店舗で販売しているところはどこか?
これから売れる商品は?
どんなサイトが売れそうなのか?

そういう商品をピックアップしては仕入れて
ホームページビルダーでサイトを作りました。

そして、SEOのテクニックで上位に表示させるんです。
ヤフオクからのリンクを貼って集客
ランキングサイトに登録

当時のSEOテクニックは根本的には今とはさほど変わりません。

良いサイトを作って
無料ブログから被リンクを当てるという
当時はやっていた手法を行っていました。

キーワードが含まれたテキストを背景と同じ色にして
人間の目ではわからなくしたり
画像の裏にキーワードを詰め込んだり・・・
そういう当時の裏テクニックもいろいろと使いました。
もちろん、今では全く通用しない手法です。

楽に稼げる情報と言うのは表で無料で出回らないものです。
出回っている時点ですぐに使えなくなるような情報ばかりです。

私は、楽に荒稼ぎできる情報は表に出ないと考えて
いろいろな商材を買ったり
テクニックを盗むために独自に他サイトを分析したりしていました。

堀江貴文が何かで
「倒れるまで働くのが普通」みたいなことを言っていたので

「東京で生き残るのは倒れるまで働くのが普通なのか」
と真に受けてしまい

一回倒れるまで働いてみようと一日16時間くらいは普通にサイト作成に取り組みました。

若さも手伝って倒れる事はなかったですが
今では信じられないような作業量をこなしていたんです。

堀江貴文やサイバーエージェントの藤田晋社長は数百億です。

友達もいない私は、他に話す人がいなくて
そういう成功者の言葉のみを聴くことで
自然と自分の波動を極限まで高めて
成功するイメージしか持てませんでした。
具体的には成功して、フェラーリを乗り回したり、高級ホテルでモデル並みの美女と酒を酌み交わす・・・
そんなことをイメージしていました。

今思えば、無意識に引き寄せの法則を実践していました。
そんな私に引き寄せの法則が働いていたんだと思います。

そんなこんなで2010年ごろには
年商6000万を突破しました。
たった独りでです。

もちろんその分税金が高かったです。
自分の給料は2000万円以上に設定するという暴挙に出たんです。

当時の年末調整

作業量が独りで追いつかず
当時は記事作成代行会社などの外注は充実していなかったので
自社でアルバイトは何人か雇いましたが、
単純な作業に嫌気がさすのか数か月で辞めていきました。

若かったんですね。
しかし、その無謀さ故
自分を信じる事しかしなかったので富を引き寄せる事が出来たんです

友達は一人もいませんでした。
しかし、友達が一人もいないからこそ外部的な影響をうけることなく
毎日、自分の波動を高める事が出来た
その結果、富を引き寄せる事が出来たんです。

>>第十三話へ続く

公式LINEのご案内

© 2024 松田悠玄の引き寄せの法則